竹内最強とは何だったのか

竹内さんご卒業おめでとうございます。横アリ卒コンから1週間経った今も、夜な夜なアンジュの動画を見て泣きながらハイボールを飲む日々が続いています。けどこれは悲しいだけの涙じゃない。あの瞬間は本当に良かった、そしてこれからも楽しみの涙なんだとしみじみ感じている。竹内最強とは何だったのか改めて考える。

 

横アリが埋まる

ハロで横アリに行くなんて久しぶり。記憶によると2014年秋の道重さん卒業、2017年春のBuono!解散ぶりかもしれない。目黒線を使って最寄駅の新横浜まで向かうと、同じ車両にGUの赤いコラボTを着てる人がちらほら。新横浜を降りて会場に足を進めると各々が青のアイテムを身につけていることに気付く(私はシャイなヲタクなのでブルーのコンバースを履いて向かった)

会場に入った途端、パンパンに埋まった横アリを見て、埋まってる、、、、と何故か息を呑んだ。

 

個性について

竹内さんリーダー時代の特徴として、それぞれの個性が爆発している点がある。けどアイドルを捉える上で個性ってすごい難しい。大人に言われたからその個性を決めてしまうケースもあるし、本当の自分はさておき目指してる個性に固執してしまうケースもある。

けどアンジュの個性はすごいナチュラルだ。あなたはそうあってほしい。あなたの魅力はそうである。と10人全員に思えた。だから視力が悪い私がライブ会場で見ても、何故かアンジュだけは10人を認識できる。衣装や髪型、パートや歌い方、振り付けやステップのアクセント。表現の全てがそれぞれの魅力を最大限に活かしてるように感じた。

そういえば卒コンのメンバーコメント。台本を読んでる感じが全くなかった。10人全員が今の気持ちをストレートに伝えるように心がけていたし、誰かが用意した何か、セオリーでやるべきフレーズではなく、この会場で生まれた感情を言葉に落とそうと、真摯に向き合う姿勢に心を打たれた。言葉に詰まっても、涙を拭いても、全てがその人らしさに溢れていた。

個性というのは空いてるポジションを打算的に狙うものではなく、自然に生きてるだけで溢れ出るものなんだとつくづく思う。そしてその個性を大切に育んだのは竹内さんであり、それこそがアンジュルムであるとグループの方向性を決めた人なんだと思う。

 

表現について

アンジュは歌が上手い。けど歌が上手いの定義もすごい難しい。上手いって言葉にすると声量やピッチの良さ、カラオケ採点的な側面が出てしまう。けど本当の上手さって、人の心の琴線に触れて、感動できるか否かでしかない。

アンジュの歌唱は良い。自分らしさが出てる。本人の個性が歌詞にフィットするし、ユニゾンですら個性の掛け合わせが溢れ出てくる。あなたにそのフレーズを歌い続けてほしいという瞬間がたくさんある。

「もしも争いのない未来 誰かが耐えてたら意味ない」を室田さんから引き継ぐ竹内さんはヒーロー的な美しさがある。「夢に見てた自分じゃなくても まっとうに暮らしていく今どき」を船木さん川村さんへとバトンが渡るのは涙なしでは語れない。なぜひとつの歌割りでこんなにも感動できるんだろう。歌割りが多い人が目立つとかそんな次元を超えて、全員の個性の集大成として表現がある。

次期リーダーになった上國料さんが、次々続々でセンターに来る瞬間も大好きだ。フォローする役回りも増えてくる中、この曲だけは新加入の時代を思い出して、最前線で戦い続ける姿を見続けたい。そんな瞬間がダンスひとつ、表情ひとつ、フレーズひとつで連続するからライブは楽しいに決まっている。

 

竹内最強とは何だったのか

やっぱり個性の爆発、個性の尊重、個性のナチュラルさだと思う。みんな死ぬほど努力してるけど、無理してない。消費してない。長く続けられる自分らしさにたどり着いた上で、そこに向かって研ぎ澄ましていくから、最強になる。

この仕組みを作った、土壌を作ったのは、間違いなく竹内さんで、その意思を汲み取ったメンバーがまた新しいアンジュルムを作り上げていくんだと思う。物語が始まる。物語は続く。しばらくハロヲタを辞められそうにない。

 

 

 

 

どうしても武道館でロックの聖地を聞きたくない

Buono!がせっかく復活してくれたわけだし、武道館ライブの足を引っ張るようなことはしたくないのですが、、ロックの聖地を聞くのが辛くて辛くて。。勢いで書きます

ロックの神様の世界観は「文化祭にむけてバンドを組んだ女子高生」の話です。当時メンバーに中学生もいましたがそれはさておき。Buono!がどういうユニットで、どうすごかったのかもさておきます。

ただ、Buono!が武道館ライブで「ロックの神様」を歌うことがファンの願いだったのはみなさんご存知の通りです。そのロックの王道ともいえるタイトルと、歌詞の中に武道館というワードがあるから。具体的な歌詞で見ると1番2番のAメロが対応しています。

 

1Bメロ

あと10日で文化祭

やっと見つけたメンバー

きっとロックの神様が逢わせてくれたんだ

 2Bメロ

小さなステージでも

あたしたちにはブドーカン

きっとロックの神様が守ってくれるんだ

 

文化祭に向けてバンドを組んだ3人。「やっと見つけたメンバー」ということはメンバー探しも苦労したんでしょう。「小さなステージでもあたしたちにはブドーカン」これがBuono!と武道館を結びつけた歌詞です。

不安と期待を入り混じらせながら、けど、ロックの神様が私たちを引き寄せたんだ、ロックの神様が見守ってくれているんだ。というピュアな気持ちでステージに立つ曲です。そんな世界観をさらに膨らませてくれる歌詞もあって

 

1Aメロ

体育館の裏を通り抜ける風が

下手くそなギター遠くまで運んでいくよ

放課後に聞こえる、吹奏楽部の練習の音、野球部の掛け声、懐かしい青春の記憶として誰しもが思い出す光景ではないでしょうか?体育館の裏もリアルな表現。練習場所と体育館の立地が、風の流れる経路として続いていたのでしょう。

 

2Aメロ

憧れの先輩も見に来てくれるかな

いつもと違う3人は誰よりクレイジークール

下手くそなギターと言ってるのでそんなに演奏は上手くないのかもしれません。けどステージに立つ自分を想像して、憧れの先輩が来てくれるかなと妄想したり、いつもと違う自分をクレイジークールと言ってしまう。ここにハロプロぽさ!!!を感じるんです。それをいかにもクラスの人気者らしいルックスとキャラを持った3人が歌うのが、尚更いいなって思います。

 

youtu.be

 

まとめると、ロックの神様は武道館で歌うことに強い意味があり、文化祭を目指す3人の女子がBuono!の世界観とメンバーの個性にハマったいい曲ということです。

 

少し複雑なのは、すでにロックの神様は武道館で歌っているんですね。Buono!が初めて武道館のステージに立ったのは2012年6月、指原莉乃さん主催のイベント「ゆび祭り」でした。当時は今よりもアイドルにとって武道館の敷居は高く、出ることに意味があることもありつつ、単独コンサートじゃなければ歌うべきじゃない議論がありました。結果的には歌いませんでした。

その後、ロックの神様を武道館で歌う日が来てしまいます。2014年9月のベリキュー合同武道館ライブです。ここで留意すべきなのは、当時Buono!はすでに活動しておらず、2012年1月発売の初恋サイダーからシングルも出していない状態でした。メンバーがベリキューで構成されている点と、ベリキュー合同での武道館ライブという点を加味すると、演出のスパイスとしてBuono!を使うのは確かに良かったのかもしれません。

ただ1年前の2013年にベリキューはそれぞれ単体で武道館ライブを行っているので、変化値として活動していないBuono!を引っ張り出したと考えられなくもないです。練習スケジュールも少なかったのか、ライブハウスを回っていた時ほど仕上がりきってない状態で巻き込まれた印象は正直ありました。

 

そして今年2016年8月にBuono!が武道館で復活します。YouTube公式チャンネルに記載された紹介文もまた素晴らしくて

『ソラシド~ねえねえ~』は、赤い公園のギター津野米咲氏による楽曲提供。強くもなければ、とびきり弱いわけでもない。そんな、"普通"と称される人々への応援ソング。爽快さと切なさを併せ持つこの曲は、大人になったBuono!の新境地を切り開くサウンドに仕上がった。

『ロックの聖地』は、ライブでの大人気曲『ロックの神様』(1stAlbum「Café Buono!」収録)のアンサーソング。ノリノリのロックナンバー!

それぞれ進化した3人のヴォーカルの表現力にもご注目ください

 

「 大人になったBuono!の新境地」このワーディングにテンション上がった方も多かったんじゃないでしょうか。Buono!が愛される理由の1つとしてKiss!Kiss!Kiss!に代表されるスクール風の世界観があったので、文字通り大人になったメンバーがどういう仕上がりになるのか。もちろん歌唱や表現の幅も広がり、化学反応起こること間違いないなし!!!といった期待しかない前フリでした。

 

youtu.be

 

ソラシド素晴らしかったです。「上手くやれるほど強くない、逃げてしまうほど弱くない」学校で人気のスクールカースト上位の人でも、社会に出れば失敗する回数も増えるし、答えのない難しい局面も体験するはず。そういう経験を含んだ「いっつも上手くれやれるほど強くないけれど、たとえ失敗しても逃げてしまうほど弱くない」時間の流れがすごいしっくり心に入ったし、大人になったBuono!の意味がとてもよく伝わりました。PVの表情もよくて、先出ししたクレーンゲームの告知動画の衣装と同じだったこともり、新ビジュアルの定着は早かったと思います。

 

そしてロックの聖地。メロディーがかっこいいのは分かります、ライブ映像が素敵なのも分かります、ただ、ロックの神様が描いたBuono!の3人の姿がどこにもないんです。メンバー集めに奔走した嗣永、ちょっと切ない詞を書いた夏焼、下手くそなギターの音を風に運ばせた鈴木、3人のキャラクターが全くないんです。月日を経てどういう女性になったかも無視されているんです。

正直、何に対してアンサーしているのかが分かりません。

 

youtu.be

 

1メロ

流れ星見るたび 願い込めた
3人の夢が Ahaha

始まりから9年 遂に今夜
叶う時が来た Ufufu

あの日奏でたメロディ 歌うぜ
懐かし風がハートを 揺らして

 まずBuono!の世界観でいうと、小さい音楽室(体育館?)でも私たちにとっては武道館と言っただけであって、流れ星を見るたびに願いを込めて武道館に出たいと言わない気がするんです。なので武道館に出たいと思ったのであれば、そう思うようになった3人のストーリーを教えて欲しいんです。ただ武道館やるからの理由で曲をつくるのはハロプロっぽくないと思いませんか?なんだかその場しのぎのマーケティングのような気がして。

 

2メロ

みんな大人の女 でも気持ちは
10代のままだ Ahaha

毎日毎日聴いても飽きない
飽きないからロックは
やめられないぜ Ufufu

バッチリ合ったリズム 刻んで
1万人の前で さぁ行くぜ

ここも違和感で、ロックは別に好きじゃない気がするんです。好きは好きだけど、毎日毎日聞いても飽きないとは言わない気がするんです。何ならメイクとかファッションとか恋愛とか普通の女の子が普通に憧れることを表現するのがBuono!であって、ロックを愛するパンクな3人組ではないと思うんです。売り出し方や本人のキャラではなく、あくまでBuono!として積み上げてきた曲と現場の世界観の話です。

 

今回のBuono!Festa 2016ではロックの聖地がセトリ上、重要な役割を占めるでしょう。けど意地の悪い言い方を敢えてすると、ロックの神様はベリキュー合同武道館で歌ってしまったから、色つけてもう1曲作りました。としか思えないんです。アンサーするなら当時の3人が描いた曲の世界観にアンサーしてほしい。

もちろんチケットも買ったし本当に楽しみなんです。Buono!が冠のライブに行けるだけで本当に嬉しいし、新曲も本当に嬉しい。けど笑顔でロックの聖地を武道館で聞ける気がしない。。これって考えすぎでしょうか?